デコトラから現在まで。痛車の歴史大特集
大都市の大通りを歩いていると、漫画やゲームの描画が派手に装飾された車を見かけたことはありませんか?これは、自分なりに改造したカスタムカーの一種で、「痛車」と呼ばれる車です。一体痛車とは何なのでしょうか。デコトラから始まる痛車の歴史を紐解きながら、ここで紹介します。
社会現象にもなったデコトラ、そして「痛車」へ
痛車とは、車体にキャラクターやメーカーのロゴを貼ったり、塗装をしたりして装飾したカスタムカーです。見ていて「痛々しい」という意味からきた俗語とされていますが、イタリア車の略語である「イタ車」と掛け合わせて、自慢したいという思いもあり、諸説あります。この痛車の元になったのが、1970年代から日本でブームとなったデコトラです。
デコトラとはデコレーショントラックのことで、全体を縁取るようにランプで装飾し、ナンバープレート周辺をステンレスやクロムメッキのエアロパーツで固めています。トラックを利用していた水産業関係者が、潮風や融雪剤で車体についた錆を隠すために、あらゆる措置を施したのが、デコトラの始まりとされます。業種の関係上、高速道路を利用した遠距離移動が発生します。当然一般車にも目を引く存在となるため、それならば目立ってしまおう、という考えに移り、やがて独特の装飾をドライバー同士で競うようになります。
デコトラは社会現象にもなりました。1975年には『トラック野郎・御意見無用』という映画が公開され、興行収入8億円超えのヒット作になり、シリーズ化もされました。『デコトラ伝説』としてテレビゲームにも登場しました。そして、機動戦士ガンダムなどのアニメ、竜や虎のような猛獣から、猫のようなメルヘン系のキャラクターもデコレーションされるようになりました。こうして、デコトラが痛車の先駆者となりました。
デコトラから受け継がれた痛車、世間にどこまで浸透した?
デコトラブームが冷めやらない中、2000年代から雑誌やテレビ番組で紹介され、痛車が一般国民にも認知されるようになります。その当時、デコトラはボディのダメージを隠すための存在から、マンガやアニメのキャラクターを宣伝するための重要な存在となっていました。痛車の認知度が広がると、キャラクターの装飾が、市販車から、バスや電車にも広まっていきました。
痛車の目的は、趣味と宣伝の2種類に大別されます。趣味の場合は、ファミリーカーというより、スポーツカーに、ステッカーが貼られたり、ペイントがされたりします。他にも、原付、バイク、さらには自転車にまで装飾がされ、「痛単車(いたんしゃ)」や「痛チャリ」とも呼ばれます。宣伝の場合は、バスや電車に装飾がされます。ただし、車体の一部分にステッカーが貼られただけの車は、痛車とは定義されません。また、車体に派手な装飾が施されていても、一般国民に痛車と呼ばれることは少ないです。
痛車で選ばれている漫画やアニメのキャラクターには、特徴があります。本来痛車はオタク文化から発展したもので、現在もオタク文化のひとつとして受け止められていて、萌え系のキャラクターが多く採用されます。メジャーなアニメのドラえもんやちびまる子ちゃんは、仮にステッカーが貼られても、痛車とは定義されません。一方、オタク文化のイベントがある休日には、痛車が大通りを通ることがよくあります。
デコトラから痛車へ、加速したのは歴史だけではない!
トラックのダメージを隠すために装飾が施されるところから始まったデコトラですが、時代が進むにつれて、装飾のデザインで仲間を作り、時には競って発展しました。そして、オタク文化のPRとして、メディアでも認知されるようになり、広まった痛車。こうして、車の装飾の歴史が急加速しましたが、実は加速したのは歴史だけではないのです。
2005年に行われたもてぎEnjoy耐久レースで、color's R&D CR-X(ホンダ)が参戦し、ついにレーシングカーの分野に痛車が登場したのです。2007年には、ADVANらき☆すたランサーが全日本ダートトライアル選手権に出場し、未舗装路を走るラリーレーシングの分野にも痛車が進出しました。2008年には、ラリーの分野で痛車が初優勝を果たし、国内ツーリングカーレースの最高峰とされるSUPER GTで、初音ミクデザインのBMWが登場したことは、業界に衝撃を与えました。
そして2012年には、フォーミュラ・ニッポンで、フォーミュラ・カーにも痛車が参戦し、史上初の「痛フォーミュラ」が生まれました。歴史どころか、平均速度も上がり、世界への認知度も急加速しました。痛車というネーミングも、幅広い業界で痛快なインパクトを与えるようになったのです。